母校

7/8(水)

今日は我が母校の硬式野球部の夏の予選、2回戦でした。初戦に続き、先制し最少失点で勝利を収めました!監督は小生の1歳上の先輩で、主将を務めていた方です。高校から引っ越した地区で生活していた為、この先輩の自宅は割と近く、双方寮生ではないので一緒に登校したり、冬はランニングで先輩宅経由で登校していました(雪が降ったりの場合は先輩の親御さんに送迎してもらった)何かとお世話になりましたし、大学卒業して指導者になられてからは、こちらに合宿に来る事もあったので、練習試合を組んだり、宿舎の紹介をしたり、居酒屋で野球談議をしたりで、縁がある方なので何とか30数年振りの夏の甲子園へ!と期待しています。小生は春の選抜甲子園には出たのですが、すっかり夏はご無沙汰で、古豪と言われるよりも忘れられているな…と感じます。北海道で生活していたら、絶対に力になるべく協力は惜しまないのですが、今は遠くから応援するしかありません。出場したら、甲子園で会いましょう!と伝えているので、小生も3年振りの甲子園に行ってみたいし、母校の応援をしたいですね。

今日勝利した球場は、小生が高校2年の夏に大本命と言われた母校が順当に決勝まで駒を進めた、帯広の森球場(今は名前が違うかも)でして、小生が野球を始めた縁のある場所です。帯広市には小学2年~5年まで住んでおり小4になり野球を始めました。今は小1とかで始められますが、当時は団員が多く4年からしか入れませんでした。緑ヶ丘小学校という校名の「グリーンストロング」というチームでしたが、なぜか出来たばかり?(以前にあったが活動していなかった?)の扱いで、小生含め20数名が入りました。ユニフォームもなく、ジャージと運動靴でスタートし、大会に出る事になり6年生が殆どの大会でいきなりベスト4になり、「ジャージチーム躍進!」と新聞に掲載されまして。父兄がユニフォームを作ろう!と力が入り、緑をベースの縦じま模様の真新しいユニが届き、めちゃくちゃ嬉しかった覚えがあります。ちなみに小生は投手になったのですが、ポジションをどう決めたかと言うと、校庭に1列に並び、投げるフォームを見て「お前ピッチャー」「お前キャッチャー」と決めていました。小生は当時巨人ファンで、江川投手が好きでよく真似をしていたので、そのフォームで投げたら即ピッチャーでした。

その球場で、道民の9割が信じてやまなかった我が母校が、決勝で中標津高校という聞いた事もない高校に完封負けを喫し、夢は幻と消えました。小生の前で最後の打者が打ち取られ、呆然とした事を昨日の様に憶えています。敗因はあとで呟くとして、その2か月半後に秋の北海道大会で優勝し、見事翌春の選抜大会に出る事が出来、分からないものだな…と思った次第です。

各地で球児たちが甲子園を目指す…夏の風物詩です。悔いのない様、完全燃焼して貰いたいですね!

頑張れ!高校球児!!

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